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箱根 芦之湯 きのくにや  -3

箱根 芦之湯 熊野権現旧跡と きのくにや 源泉地の見学

(↑ 藁葺き屋根の上に見える叢こそ、以前、話題に取りあげた、《芝棟=くれぐし》である。最近、めっきりと少なくなっている、伝統的な様式に気がついた人は居なかったはずだ。芝棟については、こちらを参照のこと。) 



 普段、我々は、温泉地に行っても、ただ湯船に浸かるだけで、そのお湯が、どこから発していて、どこを経由して、どのように管理されているかについて、しっかりとした考えが及ぶことは先ず無いといってよい。



 温泉に対しての熱い思い込みは大切ですが、不用意な推測、根拠に乏しい詮索は、まことに温泉に対する不慣れな認識の一面を拡大させることになりかねません。



 何故、循環が悪いのか、お湯がどうして劣化していくのか、そういったさまざまな条件式は、温泉が生き物であり、また、化学的な反応によって引き起こされ、それを大きく変化させるのも人間の取り組み次第であるし、何ら裏づけの無い思い込みもまた、ありのままの温泉に対しての判断を鈍らせる原因となっているのです。



 その温泉について知らずに、勝手に解釈する輩が多いことには、何をかいわんやですね。疑問は、推測の域を出るために、かならず当事者にその旨を、問い正すことが大切になります。
 松坂屋の創業者は、1662年に箱根権現の許しを得て、この地に守護神である熊野神社を勧請し、芦之湯を開湯しました。



* 熊野権現は、熊野三山で有名な熊野三所権現からの勧請で、ゆやごんげんとも称されている。



 熊野権現と東光庵は、苔むした石段を登り詰めた松坂屋旅館背後の小高い丘の上に安置されており、江戸時代には、権現境内に設えられた薬師堂=別名: 東光庵で、湯治に訪れた文人墨客(=賀茂真淵、蜀山人)が集まり、文化サロン的な役割を果たすも、明治期にはすっかり朽ち果てた姿で1882年に取り壊されました。その後、平成13年、約120年ぶりに東光庵は復元されました。



復元された東光庵は、小田原にあった益田鈍翁の別荘から、この地に移築されたもので、更に遡れば、京都知恩院にあった池田輝政夫人(徳川家康の四女)の供養堂であり、大正時代に小田原の鈍翁別荘へと移されたもので、何度も変遷を重ねているのだそうだ。



 一方のきのくにやは、江戸時代の正徳5年(1715年)に開業。志賀直哉や滝廉太郎らが逗留し、箱根八里などの名曲を残しました。
 歴史的な背景を汲み取りながら、いよいよ核心部分である、芦之湯の源泉地を特別に見せていただきました。現在のきのくにやの本館である場所の道を隔てた向かい、現在、きのくにや旅館の資料館となっている旧館とその背後に渡って、源泉地がありました。



 長雨が続くと、この敷地のどのあたりからも温泉が滲み出てくるような、そんな土地柄であるそうです。まさに、箱根でも貴重な自然湧出の温泉がここには300余年の長いスケールで存在しているのです。これを自然の恩恵と謂わずして、何だというのでしょうか?

 保健所からのお達しにより、汲み出された源泉は、一度、小さなマスに集められてから、浴槽へと運ばれていきます。



 最初の湧出した硫黄泉は、表面に湯華の膜がうっすらと張っているものの、やや緑がかった透明な湯なのでした。それがタンクの中で攪拌されたり、長いあいだ放置されると、硫黄分が抜けたり、成分が折出して白濁するようになります。



 一番下の浴槽は、無量の湯と名付けられた、源泉掛け流しの鮮度抜群な芦之湯源泉モデルです。(注) : いちおう、モニュメントというか、実際に営業用として開放はされていませんが、見学は自由となっています。とっても柔らかくて良い湯です、たくさんの白い湯華が舞っており、さながら卵スープのようです。
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