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無絃琴

無絃琴

 

 内田百閒の文集名に、無絃琴と題されたものがあります。むろんこれは、晋の時代の詩人である、陶淵明の故事に基づく、『琴を弾ずるは、琴を聴くに若かず、古に云う、但、琴中の趣(おもむき)を識れば、何ぞ絃上の音を労せんと。』を、それとなく意識している、素敵な題目の本だと思われます。



 内田百閒宅で、版画家・谷中安規が、琴に向った先生を写生したいというので、招いたところ、あいにくと、弦が切れたままの素琴しかなく、かといって、新しく絃を買い求める金もなく、そのままで徹した、というエピソードです。



 この無絃琴の版画は、百閒と安規という、いわば、趣の違った飄逸のぶつかり合いによってコラボされたもので、そのなかに、独特のおかしみが漂っていて、大好きな作品のひとつです。

 陶淵明の無絃琴は、絃の張られていない(=音が出ない)琴であるからこそ、そこに音を聞くことが可能となるということです。音を、ただやみくもに、一心不乱に聞こうとしては、一切其処から琴の音色は聞こえてこないということです。



 石に対する、心構えもまた、同じように思えます。石の声を、真剣に聞こうとすればするほど、心から、石は、遠ざかっていくのです。石は、ただ、此処にあって、石の在るがままを伝えているのです。だから、それに正直であればよいだけなのです。



 いいかえれば、無粋(無骨=てんこつ)な人間は、どう生まれ変わっても、無粋なままであるということの証となります。



 琴中の趣とは、琴を前にして、いかに弾くべきかなどと、自分に伺いをたてることですらないのです。そこに、琴があり、琴は弾かずとも、美しい調べを奏でており、その音に、酔い楽しめれば、それで事足りるのです。
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