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内田百閒 / 無絃琴・菊世界に記述がある、蕎麦屋 中村屋

内田百閒 / 無絃琴より

”菊世界”に記述がある蕎麦屋 中村屋




 ある日、わたしは、例によって、内田百閒の作品を捲っていて、こんな一節を見つけた。昭和9年刊行の文集 : 「 無絃琴 」に収められている、菊世界と題された掌編がある。ちょっと、長いけれども、引こう。



 「 今年の正月に、法政大学の騒動で、学校の先生を止めて以来、家に籠居して、身体を動かす事が少いので、午後を廃して、蕎麦の盛りを一つ半食ふ事にきめた。



 蕎麦屋は近所の中村屋で、別にうまいも、まづいもない、ただ普通の盛りである。続けて食ってゐる内に、段段味がきまり、盛りを盛る釜前の手もきまってゐる為に、箸に縺れる事もなく、日がたつに従って、益うまくなる様であった。うまいから、うまいのではなく、うまい、まづいは別として、うまいのである。



 爾来二百餘日、私は毎日きまった時刻に、きまった蕎麦を食ふのが楽しみで、おひる前になると、いらいらする。朝の内に外出した時など、午に迫って用事がすむと、家で蕎麦がのびるのが心配だから、大急ぎで自転車に乗って帰る。



 たかが盛りの一杯や二杯の為に、何もそんな事をしなくても、ここいらには、名代の砂場があるとか、つい向うの通に麻布の更科の支店があるではないかなどど云われても、そんなうまい蕎麦は、ふだんの盛りと味の違ふ點で、まづい。八銭の蕎麦の為に五十銭の車代を拂って、あわてて帰る事を私は悔いない。 」



 百閒の合羽坂寓居時代、昭和4年~12年の間、”市谷仲之町9”に住んでいた。代表作=冥途(三笠版)ほか、続百鬼園随筆、旅順入城式、王様の背中、百鬼園俳句帖、ほか、数々の珠玉の作品群が生み出され、次々に文集としてまとめられて、単行本が出版されていた時機である。

 



 ひょっとしたら、この文章に書かれていた、蕎麦屋の中村屋さんは、いまでも現存しているのかも知れない。ふと、そう思った。調べてみると、筑土八幡町に、大正6年から続いている、中村屋という同じ屋号の蕎麦屋を見つけ出した。筑土八幡からは、距離的にも市谷方面は、ほど近い。とくに、大久保通りを辿っていけば、市谷柳町交差点で、合羽坂がある市谷仲之町へと外苑東通りでつながっている。おそらく、そうだろうと思った。



 筑土八幡にあった中村屋さんは、2007年神楽坂へと移転、新装オープンしている。はたして百閒が、合羽坂寓居時代に、毎日食べ続けてた蕎麦屋であるか、いまは確認はできないが、後日、自分は、神楽坂にある手打ち蕎麦 中村屋さんへと足を運んだ。



 実際、いまでも百閒と関わりがあるお店が残っているケースも珍しくはない。鰻が気に入っていた頃、番町に住んでいた百閒は、同じように、毎日のように鰻を食べ込んでいた時機もあった。蒲焼き1人前だけを、毎晩、7時頃に届け、酒の肴として「 大の月の31日の中の29日間食べた。 」そして、秋本さんは、いまでも麹町に店を構えている。
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