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ワード オブ マウス / ジャコ・パストリアス

ワード オブ マウス / ジャコ・パストリアス



 不世出のベーシスト、ジャコ・パストリアスは、生前、スタジオ・アルバムでは2枚のソロ・リーダー作しかリリースしていない。1枚目は、言うまでも無く、彼のショッキングなデビューを飾った、1976年、セルフタイトルである=「 JACO PASTRIUS 」、そして、5年後の1981年にリリースされた、セカンド・ソロアルバムが=この「 Word of Mouth 」である。



 嵐の只中に居る予感をさせる、そんな重苦しい印象のアルバムだった。ニルバーナに至る静寂とニューヨーク市内の喧騒に掻き消されるような錯綜したコンフュージョン、その双方が妙に整理されずに入り混じった、不思議な作品だった。



 ファーストアルバムで披露した幾多の独創的なベースソロや、当時所属していたウェザー・リポートでのステージ上での激しいパフォーマンスから、大方の予測では、華やかなベースソロのみに彩られた内容を期待しすぎ、それらを持って歓迎する向きがあったが、その一般的思惑とは食い違って、音楽的に円熟味を増し、あるいはミクスチャーサウンドの斬新さを先取りしたかのような、きわめて特異なアルバムの登場となった。



 1枚目と比べると、派手なベースソロは、すっかり影を潜めていた。うがった見かたをすれば、これまでで、すべて出尽くしてしまったかのようにも思える。あたらしいものは、何もなかった、反面、集大成でもあった。



 事実、ベーステクニックが手段として、おそらく手詰まりになってきたことへの焦燥感と、それにも増して自分へと浴びせられる賞賛やら手放しの賛美の力に押し潰される日々、その両方から、生来の鬱屈とした繊細な魂を蝕み始めていた。繰り返し訪れる憂鬱と天才ゆえの至高感の高ぶりの振幅が激しくなるほどに、酒やドラッグに頼らざるを得なかったのは、この頃からではないかと思う。



 ワード・オブ・マウスとして世に問うた結果は、明らかな失速感であった。当時、リアルタイムで体感した、このアルバムの第一印象は、駄作そのものであった。アメリカでの評判は、急激に落ち込んでいった。いま彼が亡くなって、聞くと、なかなか素晴らしい内容であったとは思うが、なかなか、そこまで感性や趣味に付き合っている暇は無かったと思う。



 ワード・オブ・マウスをリリースした翌年、ジャコは、誇示どおり、古巣=ウェザー・リポートを巣立っていった。雇い主であったザヴィヌルとの確執があったことは明白であるが、踏みとどまることより、分かれた違う方向へと進む道を、ひとり彼は選んだ。



 それは同時に、大いなる庇護を失ったことになる。彼は、ますます孤立していくが、その出帆は、天才として後代に名を残す大海へとむしろ躍り出たこととなる。かつて、ジミ・ヘンドリックスや、マリリン・モンロー、ジャニス・ジョプリンなど、自分の世界では、その力を余すことなく誇示し、夭逝は世の常、わが世の春をしばし謳歌することになる。



 自らの予告どおり、ジャコは、享年35歳で、その短い人生を閉じることになる。ワード・オブ・マウスを発表してから、わずかに6年後のことであった。



 1982年以降、数年に渡り、大編成のビッグ・バンドを引き連れ、日本へとコンサートツアーを行った。誰の目にも、ジャコが健在であること、そして一人前の親方として君臨していることを認めさせるものであった。当時、もちろん生前のジャコの生演奏を目撃している。



 すべてが、一瞬にして萎んでいった。ジャコが掲げた、このアルバムのタイトルどおり、つまり、ワードオブマウス=口コミによって、ある時は時代の窮児にまで祭り上げられ、その言動が過激になるほど、挙動不審から再起不能とまで書き立てられた。



 ジャコは、その繊細なる魂を、メディアにより高め、メディアによっても潰された。まことに皮肉なことに、ジャコの生前を知らぬものたちにより、再びジャコは神格化され、違った道を歩み始めている。まさにワード・オブ・マウスがそうだったように、クロマッチック・ファンタジーがレクイエムのように暗く、重く響き渡る。
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