自分の中に毒を持て~岡本太郎著
自分の中に毒を持て岡本太郎著
渋谷の駅を出た構内に、大作”明日の神話”が掲げられることになったとき、正直、暗い題材だなとか、いやな感じを画風から感じ取ったものだった。奇しくもそんなことが、この本にも書かれていた。そのエピソードは、東京のデパートでの個展開催時に実際に太郎が目撃したことだ。
『二時間あまりもじいっと絵の前に立っていた。そのうちにポツンと、いやな感じ!、そう言って立ち去った人がいた。ところがぼくは逆にすっかり嬉しくなってしまった。それで良いのだ。絵を見せた甲斐があるというものだ。その人こそ素晴らしい鑑賞者だ。あら、いいわね、なんて言われたら、がっかりだ。芸術はきれいであってはいけない。うまくあってはいけない。心地良くあってはいけない。それが根本原則だ、と。それは決して単にほほえましいものではない、ここちよく、いい感じであるはずはない。むしろ、いやな感じ。いやったらしく、ぐんと迫ってくるものなのだ。そうでなくてはならないとぼくは思っている。』
この本があることを知ったのは、テレビの番組=情熱大陸に登場した、自称ノマドワーカ―安藤美冬さんが、自らの人生を変えた一冊、これで、大手出版社を辞める決心が付いたのだと、、、大げさに紹介していたから。テレビを見た次の日、なぜか、古書店の棚で、真っ先に目に付いたのが、この本だった。
巡り合わせは奇なるもので、目を通し、読み始めることで、この本がとてつもなく、新たな啓示のように思えてきたのは、自分とて、まんざらではなく、この日から自己覚醒の書となった。岡本太郎は、日本人にしては個性的とされる。ただ、それもこれも、彼の生き方自体を貫く何かをしっかり理解してからでないと、モノサシにあてはめられないものとして放擲されたままになるだろう。いま、ひとびとの意識の変容が始まっている。
それらのブレが、自然さえも異常な気象として逆に共鳴させてしまっているかのようだ。1993年に出版された本でありながら、内容は今読んでもハッキリとぼやけてはいないばかりか、今だからこそ、その内容をシッカリとした覚醒された魂のレベルで読み直すことが可能なのだろう。彼は、相当進んでいたと言うよりほかは無い。
『ぼくがここで問題にしたいのは、人類全体が残るか滅びるかという漠とした遠い想定よりも、今現時点で、人間の一人ひとりはいったいほんとうに生きているだろうかということだ。ほんとうに生きがいをもって、瞬間瞬間に自分をひらいて生きているかどうか。』
『ぼくが芸術というのは生きることそのものである。人間として最も強烈に生きる者、無条件に生命をつき出し爆発する、その生き方こそが芸術なのだということを強調したい。芸術は爆発だ!が、私の言う、爆発はまったく違う、音もしない、物も飛び散らない。全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと、それが爆発だ。人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発し続けるべきだ。いのちのほんとうの在り方だ。』
渋谷の駅を出た構内に、大作”明日の神話”が掲げられることになったとき、正直、暗い題材だなとか、いやな感じを画風から感じ取ったものだった。奇しくもそんなことが、この本にも書かれていた。そのエピソードは、東京のデパートでの個展開催時に実際に太郎が目撃したことだ。
『二時間あまりもじいっと絵の前に立っていた。そのうちにポツンと、いやな感じ!、そう言って立ち去った人がいた。ところがぼくは逆にすっかり嬉しくなってしまった。それで良いのだ。絵を見せた甲斐があるというものだ。その人こそ素晴らしい鑑賞者だ。あら、いいわね、なんて言われたら、がっかりだ。芸術はきれいであってはいけない。うまくあってはいけない。心地良くあってはいけない。それが根本原則だ、と。それは決して単にほほえましいものではない、ここちよく、いい感じであるはずはない。むしろ、いやな感じ。いやったらしく、ぐんと迫ってくるものなのだ。そうでなくてはならないとぼくは思っている。』
この本があることを知ったのは、テレビの番組=情熱大陸に登場した、自称ノマドワーカ―安藤美冬さんが、自らの人生を変えた一冊、これで、大手出版社を辞める決心が付いたのだと、、、大げさに紹介していたから。テレビを見た次の日、なぜか、古書店の棚で、真っ先に目に付いたのが、この本だった。
巡り合わせは奇なるもので、目を通し、読み始めることで、この本がとてつもなく、新たな啓示のように思えてきたのは、自分とて、まんざらではなく、この日から自己覚醒の書となった。岡本太郎は、日本人にしては個性的とされる。ただ、それもこれも、彼の生き方自体を貫く何かをしっかり理解してからでないと、モノサシにあてはめられないものとして放擲されたままになるだろう。いま、ひとびとの意識の変容が始まっている。
それらのブレが、自然さえも異常な気象として逆に共鳴させてしまっているかのようだ。1993年に出版された本でありながら、内容は今読んでもハッキリとぼやけてはいないばかりか、今だからこそ、その内容をシッカリとした覚醒された魂のレベルで読み直すことが可能なのだろう。彼は、相当進んでいたと言うよりほかは無い。

『ぼくが芸術というのは生きることそのものである。人間として最も強烈に生きる者、無条件に生命をつき出し爆発する、その生き方こそが芸術なのだということを強調したい。芸術は爆発だ!が、私の言う、爆発はまったく違う、音もしない、物も飛び散らない。全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと、それが爆発だ。人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発し続けるべきだ。いのちのほんとうの在り方だ。』
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