山に生きる人びと(日本民衆史2) / 宮本常一 全国津々浦々、まことに隈なく歩いた宮本常一の足跡を思うとき、測量によって日本地図を完成させた、伊能忠敬の姿が、ふと、オーバーラップしてしまう。忠敬は、測量を通じて、地道ながら、自らの足と目と数値で日本を感じ取り、ある意味、普遍的な、紛れもない国土の姿を、人工衛星・ランドサットから俯瞰するが如くに、こころに捉え続けてきた。
宮本は、日本のあちこちで、実際に暮らす人びとの営みやら、感情の温もりがある生活のなかで、いっしょに体感したものを、記し、聴き、目撃してきた。それは、民衆のせいかつに基づく、ながい歴史の測量であったかもしれない。
まわりを海で囲まれたわが国では、交易などの観点もあり、宮本は、海からの視点を、殊更、説き、また、それに関する文章も多い。それでも、日本国土の大半を思うとき、山岳・山間部の多さもまた、ひとびとの暮らしのなかで、特殊性を秘めたものとして、語るにふさわしいものとなっていた。
「 山の中で早くから くらしをたててきた人びとには、野獣をとろうとして住みついた者、山にある木や草を生活用具として利用しょうとした人、銅・鉄のようなものを掘って歩いた人たちなどいろいろある。つまり初めは群れをなして狩猟・採取をおこなっていた者のうち、農耕を中心として生活する集団により多く接触する機会を持った狩猟集団は漸次解体して農耕に転じる者と、個々に四散して旧来の生活をつづける者となり、個々に狩猟をいとなんでいる者も、旅人と接触し、やがては山間に立地する農村の農作物を野獣の被害から守るために、農村に結びつくようになったと見られる。 」
狩人を、マタギと呼ぶのは、又木なる又がある木の枝を使用して鹿や猪などの獲物を仕留めたことに起因しているらしい。今で言うところのサスマタみたいなものだろう。狩人は、本来、神の管理下にある森において、野獣を獲るという行為のため、殺生することで、そのことに対し、神の歓心をかわねばならぬと考えた。
そのため、狩人たちは、早くから山岳信仰の基と為り、その重なった部分を共有していた。仏教において、死者の霊が、海や山に中に行くと考えられていたことから、山中浄土信仰、山野跋扈する修行者と狩人の接点は多かった。
東北の温泉地では、土産物屋で、こけしを売っているが、この起源は、木地屋が、木地挽きの傍ら、余技として、木屑・木っ端で、人形=こけしを作り、売っていたことに端を発しているらしい。そのルーツは、山に生活していたものから、だったのだ。
木地屋は、ろくろを使って、椀や盆、あるいは杓子などを作り、移住しながら、時たま町へと降りて、それらを売って生計を立てていた。しかし、宮本によれば、仏像や仏器(経文を入れた多重塔など)を作るのが主たる仕事で、しだいに、食器類へと変遷してきたと見ている。
炭焼きの起源もまた、山の民の生活から見て取ることが可能である。古くは、砂鉄や銅、銀の精錬に必要な火力として、炭の力を必要とした。そのために、精錬のための木炭生産の歴史が鉱山業とともに全国へと広まり、そののち需要が増えた一般用の木炭生産へと自然に移行したのだという。
山の民は、木地屋とよばれる木工民が、寺院建造のために労働力となって寄与し、それぞれが身に付けた特殊な技能をもって、次第に里人(平野の民)と接触を保つようになっていった。その山間部における特色には、養蚕、サンカの蓑作り、会津地方の屋根葺きなどがあった。
「 山中に畑作を主として生計をたてている集落は前述の如く、その初めから水田農耕の経験を持たないものが大半で、したがって狩猟採取生活から畑作農耕へと進んだものと見ていいいのではなかろうか。野獣が農耕をさまたげる山中に入ってなお耕作にしたがわねばならなかった理由は、耕作が最初の目的ではなく、野獣を狩ることが本来の目的であり、狩猟による獲物の減少が、山中の民を次第に農耕にしたがわせ、さらに定住せしめるにいたったものと思われる。つまり焼畑集落は、その最初から焼畑をおこなっており、しかもさらに古くは狩猟を重要な生活手段としていたと見られるのである。 」 続きを読む
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内田百閒 / 無絃琴より
”菊世界”に記述がある蕎麦屋 中村屋 ある日、わたしは、例によって、内田百閒の作品を捲っていて、こんな一節を見つけた。昭和9年刊行の文集 : 「 無絃琴 」に収められている、菊世界と題された掌編がある。ちょっと、長いけれども、引こう。
「 今年の正月に、法政大学の騒動で、学校の先生を止めて以来、家に籠居して、身体を動かす事が少いので、午後を廃して、蕎麦の盛りを一つ半食ふ事にきめた。
蕎麦屋は近所の中村屋で、別にうまいも、まづいもない、ただ普通の盛りである。続けて食ってゐる内に、段段味がきまり、盛りを盛る釜前の手もきまってゐる為に、箸に縺れる事もなく、日がたつに従って、益うまくなる様であった。うまいから、うまいのではなく、うまい、まづいは別として、うまいのである。
爾来二百餘日、私は毎日きまった時刻に、きまった蕎麦を食ふのが楽しみで、おひる前になると、いらいらする。朝の内に外出した時など、午に迫って用事がすむと、家で蕎麦がのびるのが心配だから、大急ぎで自転車に乗って帰る。
たかが盛りの一杯や二杯の為に、何もそんな事をしなくても、ここいらには、名代の砂場があるとか、つい向うの通に麻布の更科の支店があるではないかなどど云われても、そんなうまい蕎麦は、ふだんの盛りと味の違ふ點で、まづい。八銭の蕎麦の為に五十銭の車代を拂って、あわてて帰る事を私は悔いない。 」
百閒の合羽坂寓居時代、昭和4年~12年の間、”市谷仲之町9”に住んでいた。代表作=冥途(三笠版)ほか、続百鬼園随筆、旅順入城式、王様の背中、百鬼園俳句帖、ほか、数々の珠玉の作品群が生み出され、次々に文集としてまとめられて、単行本が出版されていた時機である。
ひょっとしたら、この文章に書かれていた、蕎麦屋の中村屋さんは、いまでも現存しているのかも知れない。ふと、そう思った。調べてみると、筑土八幡町に、大正6年から続いている、中村屋という同じ屋号の蕎麦屋を見つけ出した。筑土八幡からは、距離的にも市谷方面は、ほど近い。とくに、大久保通りを辿っていけば、市谷柳町交差点で、合羽坂がある市谷仲之町へと外苑東通りでつながっている。おそらく、そうだろうと思った。
筑土八幡にあった中村屋さんは、2007年神楽坂へと移転、新装オープンしている。はたして百閒が、合羽坂寓居時代に、毎日食べ続けてた蕎麦屋であるか、いまは確認はできないが、後日、自分は、神楽坂にある手打ち蕎麦 中村屋さんへと足を運んだ。
実際、いまでも百閒と関わりがあるお店が残っているケースも珍しくはない。鰻が気に入っていた頃、番町に住んでいた百閒は、同じように、毎日のように鰻を食べ込んでいた時機もあった。蒲焼き1人前だけを、毎晩、7時頃に届け、酒の肴として「 大の月の31日の中の29日間食べた。 」そして、秋本さんは、いまでも麹町に店を構えている。 続きを読む
消費伝染病=アフルエンザ
なぜ、そんなに、物を買うのか? 「 人として、よく食べ、よく眠り、近所の人と知り合いになるためには、億万長者になる必要はない。明らかに消費を少なくする必要がある。それは私たちが、手に入れられる資源だけでなく、廃棄物を捨てることができる場所までも使い果たそうとしているからだ。 」
規制のない(名ばかりの)自由市場には、先兵のPR会社が陣取り、悪魔の手先、マスゴミは大袈裟に称賛することで、広告=モノを売らんと宣伝のためのプログラムを垂れ流し続ける。
モノがあると、ますますモノが必要となります、それは雪ダルマ式に消費を過剰にさせていきます。”燃費のひたすら悪いアメ車に乗って、ステーキハウスへ行く”、そんなアメリカンスタイルの消費・生活行動を戒めるために書かれた啓蒙の書が、この”アフルエンザ”だった。2004年刊行当時、まったく、話題にならなかったのか、黙殺された。
あれから、5年あまり。アメリカ経済、日本経済は破綻した。住宅バブル、サブプライム・ショックに見舞われたアメリカ、住宅を担保にして消費者ローンを借りて、消費過剰は頂点に達した。ブッシュ政権による市場至上主義のシナリオは、あきらかに仕組まれたものであったが、過剰なまでの消費傾向、過剰なまでの軍事費支出に、アメリカは凋み、疲弊し、おまけに病んでいた。気がつくまでもなく、それは蔓延しているアフルエンザの慢性的な症状だった。
この本は、1997年アメリカでテレビ放映され、ことのほか好評であった、ドキュメンタリー番組=アフルエンザをもとに、続編=”アフルエンザからの脱出”、更に、内容を加味して、敷衍させたものである。アフルエンザは、いわゆるアメリカンドリームと同義語であり、アメリカ経済が屋台骨を支えるためには、国民の異常なまでの消費購買意欲拡大のための中心原理を必要としていた。
日本でも、他人事ではなくアメリカ追随主義の悪弊が横行する。なぜ、車や家電をこれ以上買う必要があるのか?消費者金融のCMは、垂れ流され、分不相応から自己破産にまで追い込まれて、なぜ、ひとは余分なものを買おうと仕掛けられるのか?
消費しないと経済が成り立たないとは分かっていても、また、ある種のビミョーな経済定式に応じて、無駄なものばかりを、しこたま買わされるのが、このところの消費拡大主義というか、悪しき資本主義の実態です。前にも、カレ・ラースンの”さよなら消費社会”を採り上げましたが、まったく反響がありようもありません。
依然として、国内の景気が好いように錯覚させられて、この数年が、いつもどおりに回っていました。トヨタ非買運動とか、マクドナルド非買運動なんて、起りそうにもありません、こと日本においては。
アメリカの 経済学者、ガルブレイスは、1958年、The Affluent Society (ゆたかな社会)を著して世に問いかけました。一方、このアフルエンザとは、豊かさ(affluence)+インフルエンザを組み合わせた造語で、消費過剰がもたらす破綻を意図しています。
充分に予想されていたことでした、世界経済は、1975年以降、アメリカ人の借金を前提の上での過剰消費によって危うく成り立っていたのです。その傾向は、未だに、アメリカにも日本にも根強く、燻ったままです。
アメリカ経済を震撼させた、あの住宅バブル=サブプライム問題は、かなり、消費伝染病の末期症状を呈していたことに、気づきましたか?返済能力など、お構いなしに、お金があるように見せかける、つまりカード決済により拡張機能を使った詐欺みたいなものです。そういう錬金術に、世界中が踊っていて、未だに目覚めていない。
世界経済上の錬金術だと思い込んでいるところにも、実は、根深い病根があると思うんです。つまり経済発展のためではなく、単なる空回りのため、ブレーキも持たずに、走り続けてきた、背景がある。その背景は。とどのつまり、書割だったのだと、消費拡大策に裏打ちされた。
頭の悪い政治家たちに、牛耳られた国民。マスゴミ・メディアの歪曲報道に、騙され続けた哀れな国民。ボンクラ学者たちのイイカゲンな解説に肯かされる国民。もう、こりごりでしょう。いい加減、目覚めて、反論すべき時が来たようです。
「 アフルエンザ 」 この本には、随所に、なかなか好い事が書かれています。
「 現在の情報時代において問題なのは、より多くの情報を得ることではなく、すでに知っていることの意味を理解することである。 買うのを止めなさいということではなく、本当の利益、買うことの代償に十分に注意を払って、慎重に、意識しながら買いなさいということなのです。そして、この世で最も大切なのは、モノではないということを常に忘れないでほしい。 」
アメリカでも、メガモール(巨大なショッピングセンター)が、以前、肥沃な農地だったところを潰して建てられ、豊かな作物を作り出すのではなく、渋滞を生み出し、農地を失っている。あまりに、たくさんの選べないほどのモノが溢れかえっていることで、衝動買いが惹き起され、ただ意味もなく買い物がしたくて来ている国民を満足させ、借金の額を増大させていく。
豊かな暮らし、便利で快適な暮らし、そんな誘惑に充ちた善意から、破産への道が、誘導され、舗装(ペイピング)されていくのだ。広告代理店が繰り出す善意は、しばしば、マーケティングとよばれる。顧客の購買意欲を高め、多額の借金地獄へと誘うことを商売としている。
多くのモノが家に溢れ、そのモノを綺麗に陳列するために、さらに手狭に為ったところから、大きなマイホームを買うように、手招きされた、それがサブプライムの幻影であることは、知っていたはずなのに。アフルエンザの患者、もしくは、保菌者を収容する病院はない、ただ単に、消費を控えればよいのだが、それをためらうことで、経済を成り立たせてきた。それが綻びを見せつつ、いま破綻している。
「 アメリカ人は、好調な経済に後押しされた浪費のお祭り騒ぎの中で、記録的な額になった負債につぶされそうになっている。 」 しかし、まだ、同じような状況下で、鏡の前に立っていることを、大半の日本人は知ろうともしない。
アメリカ人のアフルエンザに罹った保菌率が高いので、アメリカ人は貯金率が、ゼロ%近辺をうろついているのだということを、しっかり自覚できていないばかりか、見下してさえいる差別主義のまかり通ったアメリカ人に他国のひとたちが同じ喘ぎの中でさえ、かなりの貯蓄率が備わっていることに無知である。
いまとなっては、温暖化の原因とされるCO2排出、ダイオキシン被害も、パンデミックフルーでさえも、マスゴミが拵えた陥穽であり、アフルエンザほど気にかける事柄ではない。しかし、モノを買わないようにしましょうとか、車で通勤せずに電車ではとは言わないのは何故なのか?WBCでは、スポンサーに配慮してまで、ダルビッシュを最後のマウンドに立たせるのはマスゴミの意図することなのか?
そんなことを考えながら、消費主義のマイナス面に気がつき、マスゴミに額づくことなく、国民ひとりひとりの自覚が芽生えなければ、アフルエンザの蔓延を食い止めて、健全なくらしに戻すことは不可能である。
(アフルエンザ つづく) 続きを読む
内田百閒の件(くだん) 内田百閒の故郷、岡山には、牛窓という地名があったりする。岡山では、人面牛の伝説が多いらしい。件とは、くだんと読んで、にんべんに牛であるから、文字通り、人の顔を持った牛を意味する。
百閒は、そんな地元に伝わる伝承や故事から、彼独特のファンタジーとして、小説 件を書く。幻想文学に納められた、特集には、くだん、ミノタウルス、牛妖伝説の特集号があって、各界から寄稿された牛妖伝説についての解説が見られる。
よく考えると、人間と牛との関わり合いは古く、鬼という怪物もまた、牛の変形であるような意味合いを秘めている。
「 件は生まれて三日にして死し、その間に人間の言葉で、未来の凶福を予言するものだと云う話を聞いてゐる。西の空に黄色い月がぼんやり懸かって、ふくれてゐる。昨夜の通りの景色だ。私はその月を眺めて、途方に暮れてゐた。 」
気がつくと、”件”そのものになってしまったような自分を通して、そのまわりの景色と予言を期待する民衆との間で繰り広げられている情景をオーバーラップさせながら描いた作品が、この百閒の”件”というもの。百閒の件は、予言しないところで、ふいに終わってしまう。不可思議ななかにも、滑稽で、また、やるせないような情感だけが、あとに残されていく。
中国には、神託や予言をする妖怪に、”白澤”なるものもあり、古く、そのルーツを探れば、人間の尽きることないイマジネーションの産物、怖れや畏敬などに行き着くのだろう。 続きを読む
焙煎機に、しばし酔いしれるの巻 ひとからの借り物だというのに、老けた茶葉を次から次へと放り込み、挙句の果て、茶葉の復活度合いに酔いしれるわたしたち。蒸篭(せいろ)のように見えて、その実、ニクロム線の電熱器がジョイントされた、電気の小型焙煎機であります。
一見すると、肉でも焼かんか、という具合の金網部分あるいは、”ふるい”に古くなったような茶葉を乗せ、頃合いを見図りながら、下から熱します、茶の香りがした頃に、おもむろに電気を止めて、自家焙煎完了。
本格的には、炭を熾し、それを灰のなかにうずめて、その上に蒸篭を置き、茶葉を広げて焙煎するのが、本格派なんだとか。なにぶん、都会では、炭団さえなく、あるいは炭団すら知らぬまま、炭火を調達するも、扱いにくい環境ゆえ、このような電気式は、なかなか重宝するのだ。
茶葉の種類、品質によって、ひとことで焙煎って言っても、試行錯誤以上の難しさと、それなりの面白さが得られる。余熱で、どこまで仕上げるか、その決め手を図る術は、ひとのセンスと勘なり。あくまで、焦げない程度に、どこまで絞れるか、まるで茶葉の復活祭である。
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