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鵜の木天然温泉 第三松の湯 

鵜の木天然温泉 第三松の湯

 アクセス : 東急多摩川線 鵜の木駅前から、南側の小さな商店街を抜けて歩くこと3分ぐらい。線路沿いの道から、一本奥にある、下町色が濃い、ほぼ駅前銭湯的な存在。

(* 大田区鵜の木2-11-11 15:30~ 不定休なので注意。 )



 このあたり、(多摩堤通りから、さらに)環八を境にして、多摩川に向って南側に広がる町=下丸子、鵜の木、矢口は町工場が多く存在し住宅街と混ざっている下町風情溢れる町並み。それに対して、環八の北側に向って、緩やかな登りで段丘になっており、その坂を登れば、千鳥、久が原へとつながり、多摩川に沿って南西部では田園調布があり、山手のお屋敷町な住宅街です。これほどまで、山手と下町との差が歩いていく中で、はっきりと実感できている区域も珍しいです。



 多摩川の段丘沿いには、大昔から人びとが生活していた名残である=古墳が点在しており、都内でも屈指の場所柄です。多摩川駅前の亀甲山古墳(現在は多摩川台公園内)や浅間神社、あるいは等々力の野毛大塚古墳、田園調布の宝来山古墳など大きな括りで荏原台古墳群と称されるものが、ベルト状に連なっています。一方、鵜の木の北側にも、光明寺、藤森稲荷、松山公園など、その起源には墳墓のあとらしき小山がいくつか確認することができました。 施設&料金 : 430円 源泉かけ流しに近い形状の冷鉱泉浴槽に、熱めに加熱された黒湯浴槽、計ふたつあります。重曹泉ですが、消毒臭がほとんど無く、ほぼ無臭ですが、インクのような匂いが、鼻の奥で、ほんのりします、しかし気にはならない程度です。 温泉 : ☆☆☆ 色は濃い目でコーヒー色。肌合いが、けっこうヌルヌルします。白い浮遊物が冷鉱泉浴槽には、多く、膜のように張っています。



効能 : ☆☆☆☆ 加熱浴槽は、かなり加熱されていて、しかも深いので、なかなか温まり感があって、すごく良いです。ゲキ熱浴槽⇔冷鉱泉浴槽の行き来は、非常にパーフェクトな組み合せ。浴後は、なかなか温泉に入ったという感覚がしてよろしいです。

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齋藤茂吉と鰻

齋藤茂吉の愛した蒲焼の缶詰



 鰻好きの文士の代表といえば、歌人 齋藤茂吉である。茂吉は、大正から昭和という戦争や震災を挟んだ激動の時代を生き抜きながら、好きな鰻を食べ続けること、一千食!とも言われている。



 「 十余年たちし鰻の鑵詰をしみをしみてここに残れる。 」 

 ( 茂吉 最晩年の歌 )



 長男である齋藤茂太は、このように回想している。



 「 空襲で全焼するまで私は南青山の自宅で生まれ育ったが茂吉の鰻は、ほとんど表参道の佐阿徳からとっていた。それも決して上ではなく中以下でよかった。父は鰻であれば満足だったのだ。鰻を食べると、たちどころに目がらんらんとしてきて樹木の緑も生き生きとみえる。と茂吉が言ったという。 」



 回想のなかで、触れられた鰻屋の実名では、築地の竹葉亭、表参道の佐阿徳、道玄坂の花菱などが、もっぱらホームグラウンドであったようだ。 さて、ここで注目に値するのは、戦中で思うように物資の配給がままならない時節に、隠れて鰻を食べたい思いから、ついに缶詰を、しこたま買い占めておいて、昭和16年戦前~20年終戦まで、疎開先で、コツコツ食べていたそうな。それが、この浜名湖食品(創業昭和9年)による蒲焼の缶詰である。蒲焼の缶詰は、いまも立派な商品として流通していた。



 今回は、とくに個人的に好きな肝の蒲焼を選んで食してみた。たいへんに美味しいものだ、肝の佃煮なるものも見たことがあるが、それよりも塩分は少な目かもしれない。御飯の友というより、やはり酒のあてと謂うべきか。



 肝焼きの美味しさは、焼き立てで、その香ばしい炭の香りなんぞ、よいものだが、冷めても、また美味しいものである。

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南久が原 昭和のくらし博物館

 南久が原 私設 昭和のくらし博物館

 アクセス : 南久が原、住宅街のなかに、昭和26年に建てられ、公庫住宅であった住居(=昭和25年に開始された政府の住宅政策で住宅金融公庫から借り入れて作られた初期のもの)を保存・管理し、内部を公開しているという私設の資料館を知りました。1999年オープンだというのですが、これまで気が付きませんでした。



 昭和のくらし博物館 (HP)は、東急多摩線の下丸子駅から、東急池上線なら久が原駅から、ほぼ同じくらいの距離で、徒歩10分弱で到着します。



 下丸子駅から、環八通りを渡り、藤森稲荷を左手に見ながら、ぬめり坂を上り詰めると、分岐点に庚申塚があります。左手の道を行くと、鵜の木特別出張所がありますので、その右手の小路を入ったところになります。もし、右側の道を直進しても、博物館案内の幟が立っていますので、そこを左手に縁石のある小路を奥まで進むと昭和のくらし博物館の建物が見えてきます。 この手の資料館は、あるようで実はないんですね。あまりに、なおざりにされ過ぎてきたのが、昭和のくらしなのではないでしょうか?明らかに平成に向けて時代の加速感が強まり、これまで普通だったものが使えるにも関わらずに要らないものへと捨てられ、古いものは邪魔なもの、醜悪なものとして片付けられてしまいました。



 おそろしく生活様式が変貌し、何もかもが、ガラッと変わってしまたのが昭和70年代以降であったと思います。それにつれて、自分の少年時代も含めて懐かしい想いをもった昭和が忘れられ、ついには遠い存在になってしまいました。



 この昭和のくらし博物館にも、当時、使用していた家具やミシン、柱時計、ラジオなど、そのままに留められ、保存されているものも多くあります。おそらく、どこの家庭でも使われていた型番やら、様式は同じであったと見え、我が家でも記憶の中で思い出した同じミシン、同じ箪笥など、たくさんの御馴染みな道具に満ちていて、他人の宅ながら、何故か、我が家のように思えて、どこかホッとする空間でありました。 ( * 大田区南久が原2-26-18 月曜日休み。 

10:00~17:00 入館料は500円。

鵜の木周辺のガイドマップは、100円で販売中。)



 ▽ 下の写真 : この方が、昭和のくらし博物館の館長さんであり、この家の持ち主である=小泉和子先生です。京都女子大で教鞭も執っておられたそうで、ご専門は、日本の家具史・生活史などだそうです。著書は、驚くほどたくさんあります。



 今日は、運よく、館長から直接、話を伺い、お茶とお茶菓子まで戴いて、長話をしてしまいましたが、普段は、学芸員のかたが数名居られて、交代で管理なさっているそうです。それにしても、私費で運営なさっているには、なかなか頭が下がる想いがします。



◎ なお、内部の撮影については、許可を戴いて、1枚だけ掲載しておりますが、通常は、概観だけ撮影が許されています。内部には、細かな、当時の資料が展示保管されております。展示室は、玄関、1階、2階の部屋で、助産婦さんの道具など、いまとなっては貴重な資料もありました。

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カフェテラス ポンヌフ@新橋駅前ビル1号館

カフェテラス ポンヌフ@新橋駅前ビル

昭和の喫茶店で食べる

ノスタルジックな定番ナポリタン


  もし、万人に、変わらぬ味というものがあるのだとしたら、それは郷愁にも似た、子供の頃から食べ馴らされた味わいとでも言うべきであろうものか。個人的には、ナポリタンが無性に食べたくなる時がある。それも、給食で出たような銀の皿に盛り付けてあって、呼び名として未だパスタがなかった時分の話に遡る。



 今みたいに、ガキの分際で、ウニとか中トロが回転寿司で、なんの躊躇なく食べられるような時代とは違って、かつて昭和の時代、子どもの憧れは、種類が少ないなかで、好きな食べ物の筆頭は、カレーライスだとか、ハンバーグ、ナポリタンと、たいていは相場が決まっていた。



 そしてパスタが、ようやく、どういうものであるかが見分けつくような年代になっても、やはり、スパゲティ・ナポリタンとして記憶の引き出しにあり、事あるごとに食べてみたくさせる、これがまた不思議に飽きのこない懐かしくも、しっくりくる味わいなのである。 JR新橋駅を降りて、汐留口方面にある新橋駅前ビル1号館、その1階に、サラリーマンのオアシスあるいはラウンジと言った雰囲気のなか、カフェテラス・ポンヌフはあります。

( * 港区新橋2-20-15 新橋駅前ビル1号館 1階

 9:30~20:00 日曜祝日休 )



 店名である=「 ポンヌフ 」は、フランス語で、訳すと「 新橋 」なのですが、セーヌ川に掛かる最古の橋の名前のことでもあり、「 古きを訪ねて新しきを知る 」とでも申しましょうか、昭和の時代を支えてきた喫茶店での食事、そういった雰囲気をいまも残しつつ、創業以来40年余り、駅前で営業しているわけです。



 ここの人気定番メニューは、ナポリタンにハンバーグが乗ったポンヌフバーグ3点セットで、自家製のプリン、飲み物が付いて1100円だったりします。今回は、ハンバーグより、断然ナポリタンがメインで食べたかったので、大盛にしてもらいました(600円+100円大盛代)



 ナポリタン : ☆☆☆ いわゆる茹でられた麺を炒めて作るスパゲティ。見かけほど味は濃くなくて、穏やかな味わい。麺は、茹ですぎで、伸びぎみで、出来上がりも柔らか仕様。具材は、ハム、タマネギ、マッシュルームとシンプル。それにパルメザンチーズをお好みで、ドッサリかけて食べる、至福の時。



 味わい的には、定番、王道的ですが、ていねいに調理され枯れた味につき、勢いに欠け、いささかコッテリ派には、ちと物足りないかもしれません。その分、穏やかな食感ではあります。バーグセットには、パンが付いていて、それにキュウリ、トマト、ハンバーグなど挟めば、ちょとしたハンバーガーにもなるという、優れメニューではあります。

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別冊 サライ 大特集 うどん

別冊 サライ 大特集 うどん



 90年代、サライ編集部は、《別冊 サライ》と称して、 各料理ごとに特化した読みやすいムック誌を出していた。このほかにも、同系列、別形態で、「 うどん好き百科 」、「 お国自慢 鰻料理百科 」なども、お目見えしている。



 内容は、雑誌で取材されたものを中心に、周辺を洗い出す感覚で本文が組まれており、決して専門書としての体を為していないものの、読み物として、食と文化、食通の関心、その間口を広げたものであった。



 いわゆる名店ガイドを伴った薀蓄本であるが、発行年代が1999年で、その情報源としては、いささか古びたものになってなってしまっている。



 しかしながら、いまになって振り返ると、執筆者の中には、杉浦日向子(江戸時代考証家)、宇佐美辰一(大阪・松葉家2代目主人)、加藤有次(男のうどん学)など各界の方々で、うどんとも縁が深く、既に鬼籍に入った方もいて、かつての食通たちのインタービューには、うどんを噛み締めて、なかなか感慨深いものが綴られている。



 伊香保の水沢うどん、秋田の稲庭うどん、大阪うどん、京うどん、讃岐うどん、加須うどん、武蔵野うどん、上州うどん、吉田うどん、名古屋のうどん、それにしても全国津々浦々まで、いろんな味わいのうどんがあるものである。 《自己主張しないうどん 》 : 京都生まれで、京都の甘いきつねうどんを愛する作家=阿部牧郎さんの一節から 



 「 それにしても うどんというのは妙な食品である。キツネにしろキザミにしろ天ぷらにしろ、絶妙絶佳、気の遠くなるほど美味い、というものではない。それでいて素のまま食べても、まずくてかなわん、とはならない。むしろ具をのぞいた素うどんのほうに、うどんそれ自体の味わいがある。うどんは素が基本主題であって、ほかのものはヴァリエーションにすぎないのだ。 だが、うどんは自己主張をしない。汁と具とがたがいに引き立てあって独特な食世界をつくりあげる。 」



 関西人が、うどんを殊更に持ち上げ、その対比として江戸の蕎麦を敵(かたき)にして貶すような構図ができあがってしまった。どうも、これは悪い癖・悪い風潮であると思う。結局は、阿部さんとて、《うどんへの愛着感》は、行き着くところ京都であり、生まれ育った関西圏での味わいに食味は落ち着くこととなるのだろう。



 大阪のうどんも美味しいし、京都のうどんも、なお美味しい、結局、それを蕎麦と単純に対比するのでなく、その発生要因など探っていくと自ずと、その違いにも気付くというものでありましょう。いろいろな見方がありますが、大阪は商人の町、腹ごなしに直接的にうどんは良かったのだと思うし、江戸っ子気質からすれば、ささッとおやつ代わりに職人たちが、めいめいに蕎麦を手繰るのが、粋がる姿であったのかも知れません。

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あるくみるきく 近ツリのPR誌

「 あるくみるきく 」

宮本常一が日本観光文化研究所長として編集に関わった

近畿日本ツーリストのPR誌 

1967~1980半ばまで刊行




 ここに一冊の薄っぺらい冊子がある。タイトルは、「 あるくみるきく 」である。そのタイトルは、旅する民俗学者 宮本常一の姿そのものであったと言っても過言ではないだろう。そして、また、忘れられた日本人の記憶の中から取り戻さなければいけないモットーのひとつでもある。



 「 あるくみるきく 」の形状は、たかが50ページ内外に収められた小さな情報誌、月刊誌である。近畿日本ツーリストが発刊している、謂わばPR誌であったが、あからさまな宣伝媒体物としてではなく、どこか文化の香りがするミニコミ紙として存在していた。



 当時、近畿日本ツーリストがお抱えの日本観光文化研究所で、その所長としてのポストを得た宮本常一が、企画・監修=自らが編集長となってあい勤めることとなった。果たして、その内容は、濃いが、いま、古本屋の市況で見かけることもない。反古の中で埋もれるには、惜しい、そんなある種伝説となった伝説を語る月刊紙であった。



 この薄っぺらい月刊誌が刊行され始めた昭和40年代、高度成長期を経て、日本も人びとも画期的な飛躍を遂げた。しかしまた、日本人としての矜持(誇り)を見失った、薄っぺらいままの日本人として起立してしまったようにも見受けられる。



 それは、どこか故郷を喪失したかのような、故郷を敢えて忘れた根無し草のような人間となって、都会へと出て、あるいは田舎であることを包み隠すように都会が広がっていった。



 《軒先を忘れた日本人》、あるいは、《身の丈を越えようとした日本人》そんな言葉がふと思い浮かんで来た。この戦後60年で、日本人が肥やしてきたものは、何だったのだろうか?都会と田舎の境界が無くなった事?と平板化され、便利になった生活の本質とはいったい何であったのか?考えさせられる想いがある。

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植草甚一 マイ・フェイヴァリット・シングス@世田谷文学館

世田谷 芸術百華 2007 区制75周年

植草甚一 マイ・フェイヴァリット・シングス

2007年 9/29~11/25 於 世田谷文学館




 来年で生誕100年、植草甚一の回顧展があるらしい、J・J気分で、ぶらっと行ってみよう。なんだか、明治生まれは、今よりずっとダンディーでアメリカンな香りがする。 自分が植草甚一の事を初めて知ったのは、高校生の時分、通い詰めた図書館の書架であったように覚えている。何冊か興味を持ち、読み進めるうちに、実は母校の先輩であったことに気が付き、ビックリしたものだった。昔のことであるから、もちろん旧制予科であり、直接的ではないにせよ、高校の先輩であったことは、それ以来、自分のなかで植草さんとして、どこか特別な想いを抱き、誇りと親しみを持った扱いをしてきた理由となっている。



 しかも、ずっと植草さんは、私が生まれた頃から、我が家の近くに住んでいて、人生の大半を世田谷に住み、おそらくは多くの時間をジャズ喫茶や古書店で過ごしたであろうけれども、近隣の寓居を転々としながら、やがて、見事なまでに積み上げられた膨大な書籍とレコードの山に、埋もれるようにして亡くなられた。。没後、しばらくして、経堂や下北沢周辺の古書店を見て歩くと、植草さんのサイン入りの本が比較的容易に見つけられたものであった。



 このたび、そんな世田谷という彼との所縁が深い地で、ひさしぶりとなるJ・J氏の在りし日を偲ばせる大々的な回顧展が芦花公園にある世田谷文学館(HP)において開催中である。これを初めてみた人にも、きっと植草甚一は、いまとなっても、なかなかジャンル分けできない、既存の枠組みに捉われない多彩な才能に満ち溢れた人物であったことを痛感させることであろう。



 ひとことで表現すれば、《POP》である、それも、ありきたりでなく、自由奔放な可能性を発揮していた、それは文筆業だけでなく、走り書きのようなペン書きのイラストにも、モノクロの写真を通じて窺い知ることのできるほど、甘んじて余りある個性豊かなスタイリストであった。



 特別、何が良いというわけでは無い、膨大な書籍や原稿、今読んでも、けっして得るところのない雑文集であるけれども、その文体やムック本の先駆けともいえそうな雰囲気は、たしかに、最近流行りのブログを先取ったかのような感覚すらあるのが不思議だ、この植草甚一というひとは、たしかに明治末生まれにしては、よほど垢抜けて、21世紀まで飛び越えた感性を発揮していたように思えてならない。 今回は、植草さんの遺業を、その趣味的な観点から、モノとして、アメリカ文学、翻訳、執筆、肉筆である手紙・はがき・原稿など、あるいはスクラップブック、コラージュ、イラストまで、細かく陳列されていて、なかなか壮観である。



 また、植草さんの没後、タモリの所蔵となった=膨大な幻のジャズレコード・コレクション=2000枚のうち、その一端を実際に見ることができる。チャールズミンガスなど生前に直に親交のあったビッグ・ネームなジャズミュージシャンたちの足跡と重ね合わせてみるのも面白いだろう。



 植草甚一的世界、その宝島への入り口は、ひとつではないと思う。今回の回顧展は、植草甚一にとってのかけがえの無い素敵な事柄=MY FAVORITE THINGSであったとともに、これからファンになっていく(であろう)若い世代の人びとにとっても、《わたしが好きな植草甚一》であって欲しいとも思う。それら、すべてが植草甚一であり、ブリコラージュ、そのもの、彼の等身大なのだ。 なんだか、とっても時間ばかり経ってしまったけれど、植草甚一が70年代、経堂にあった彼の家の近くから、ぶらっと遊びに出ていた、町の風景、そして、いまでも語り継がれる、彼の姿。そんな感傷と謂う名の追憶と追慕とも無縁なJ・J氏の面影を抱いて、経堂散歩をしてみよう。なんて気儘な企画もあるようなので、是非、もういちど、植草さんの書物など読んでみようかなと思うのである。

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長崎料理 銀座 吉宗(よっそう) 茶碗蒸し

銀座 吉宗(よっそう)

名物は、元祖ジャンボ茶碗蒸し

長崎ちゃんぽん


 アクセス : 長崎料理 銀座吉宗(よっそう) HPは、長崎にある吉宗総本店(創業慶応2年 130余年の老舗)から昭和45年に分店した東京で長崎料理が食べれるお店です。銀座大通り沿いにあり、資生堂パーラーを挟んで斜め前に位置した、長崎センタービルの地下1階にあります。普段は、場所柄、ちょっと高めの価格設定なのですが、運よくサービス期間中に付き、手頃な価格で食べることができました。



( *中央区銀座8-9-16 年末年始以外無休 

 11:30~15:00平日のみランチタイムあり。)ちゃんぽん自体は(かなり)◎ 

茶碗蒸しは正直(期待するも)ハズレ× 



ちゃんぽんセット=水金昼のみ限定で1730円。

(+ジャンボ茶碗蒸し付き) 

(この日は嬉しいサービス価格で、なんと1500円でしたね。ちょっと得した感じ)



 ちゃんぽん : ☆☆☆☆ 

単品なら昼時で、並サイズが960円 オイシイデス。

スープは、第一印象で、クリーミーというより、牛乳が入ったようでミルキー、上品な感じ。どちらかといえば、ニンニクがアクセントになっている熊本ラーメンのマイルドな味わい。野菜から生み出される自然な甘味が強い口当たりとなって広がる、完成度合いは高い。鶏肉を長く煮込んで作ったクリームシチュー的な発想の味で、ある意味、独特。(女性向きだと思う。)



 反面、昼時の混雑時ゆえ仕方ないが、麺が茹ですぎて伸びきっていた(マイナス評価)。具材のバリエーションも全体としてのボリューム、麺と具とスープの割合、バランスは非常に良い(プラス評価)



* 店員の対応・サービス : 良好(プラス評価)

 元祖 ジャンボ茶碗蒸し : ☆☆

なにげに、茶碗蒸しは、自分の大好物である。しかし、どうにも期待はずれだった。ここでは、茶碗蒸しの定食になったものもあり、おかずとして食すには良いのだろうが、単品として味わう場合、あまりに塩っぱすぎるし、印象として上品な味付けではない。繊細さも欲しいところ。



 具材のバリーエーションには、舌を巻きます。長崎かまぼこ(2色)、麩、穴子、栗、椎茸、銀杏、白身魚、木耳、鶏肉、竹の子など具だくさん!卵の風味より、ダシ系が勝っており、全体が卵スープ状になっている。好みもあるだろうが、いまいち、名物料理として味にキレが感じられず残念。



 値段は、銀座価格であるから致し方ないにせよ、茶碗蒸しを食べるためではなく、ちゃんぽんや長崎皿うどんを昼時に食べに来る店のような気がする。あるいは、夜の居酒屋としてか。

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鶴見区 温泉銭湯 矢向湯

鶴見区 矢向湯

オススメな温泉銭湯です。


 アクセス : JR南武線 矢向駅、第二京浜方面へと駅前通りを東へと進むこと5分ぐらい。矢向には、駅の反対側に⇒黒湯の銭湯 富士の湯があり、川崎市の幸区との境界側には、縄文天然温泉 志楽の湯があります。でも、そんなにカンケーないです、みなさん、きっと、この矢向湯さんへ通っていると(わたしには)思えます。

 施設&料金 : 430円 

貸し手ぬぐい無料、貸しタオル100円。



この銭湯は、白湯部分がスペース的に小さく、加熱された温泉浴槽が、かなり大きなスペースを占めています。浴槽は、源泉かけ流しの水風呂、ぬるめに加熱された浴槽、少し熱めの浴槽の3タイプがあります。



 いずれも、よくある烏龍茶色の黒湯ではなく、台湾産の烏龍茶色、ウラル産のシトリン色、淡い茶褐色というより緑色に見える黄色です。

温泉 : ☆☆☆ 源泉水風呂は、オーバーフローが効き、かなり蛇口をひねりっぱなしなので源泉が、絶えず放流され、鮮度感はバツグン。泡もよく溶け込んでおり、肌がスベスベになります。



 淡褐色の浮遊物が多数見られ、白く浮遊する折出物も多くみられます。蛇口から源泉を10分ほど流し放しにしておくと、蛇口からは、口に含むと金気臭とも言える鉱物臭と時折、硫化水素臭が匂ってきて平安湯を彷彿させます。夏場の水風呂好きには絶好のロケーションでしょう。やや浴槽は大きめですが、オーバーフローが良く効いていますし、お湯の滞留時間は少なく、鮮度は鈍っていません。



加熱浴槽も、オーバーフローは、(循環銭湯にしては)上手く行ってる感じ。加熱され気化した湯気からは、アンモニアの成分だろうか、温泉成分とカルキ臭が混ざって、イソジン臭のような特有の匂いが強くします。



 効能 : ☆☆☆☆ 黒湯の浴感ではなく、浴後は、塩化物泉の《高井戸の美しの湯》みたいな感じが加えてしてきます。近隣の志楽の湯に、外見上は色的タイプが酷似していますが、矢向湯は、さらに質的にも、いいと思います。

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民間暦 宮本常一 初版本

「 民間暦 」 : 宮本常一の初版本



 ふつう、文芸書や美術書に到っては、その装丁や紙質などが気になって、やはり初版の状態で、当時、どのように発刊されたのであるのか、そういうことがとやかく煩く言われるものです。宮本常一の書物にあたるのであれば、未来社から刊行されている膨大な著作集を丹念に読んでいけば、それで事足りるのかもしれません。



 もちろん買い揃えるまでもなく、図書館で読んで済ませるのも常道であるはずでしょう。でも、なんとなはなしに、宮本自身に言い知れぬ愛着が沸いてくると、その著作が、いかなる姿で、ひとびとの間に流通していたのか、それを今更のように追いかけてみたくもなります。



 それはビブリオグラフィーでもあり、宮本常一が生きた時間を読み解くクロノロジーにもなるのではないでしょうか、そんな想いがわたしの裡にあります。講談社学術文庫で、現在も読むことができる、《民間暦》の初版本です。



 戦局が、あと少しで、混迷状態へと突入するであろう、一瞬の隙であったのでしょうか、この本の刊行は、昭和17年になっています。当時、紙の無い時節でしょうから、配給制、発行部数は、わずかに3000部。



 六人社という出版社が出していて、民俗選書の一巻として出版され、日本人の精神を鼓舞せんとして、柳田國男が「國史と民族学」などの書名も書籍案内に見受けられます。翌年には、三国書房から、女性叢書という名目で「 家郷の訓 」「 村里を行く 」が出版されている。



 やはり第二次大戦時に書き止められたものとして、これらの諸作品を読み返すと感慨深いものがある。宮本にとっては、私家版による初執筆集やアチックミューぜアムから出された初期の論文を除いて、大衆の目に触れる、はじめて世に問うたものであることには変わりないだろう。



 宮本の本が大衆の目に触れるのは、おそらく死後になってからがピークと思われる。大半の著作も50歳を超えてから、執筆され、その評価が定まってくる。ところで、宮本常一、当時、35歳、初の単行本出版が、この「 民間暦 」になる。



 筆致や語り口は、宮本ならではの、柔らかさがあり、それは、最晩年の「塩の道 」まで変わることの無いキャラクターであったと思うが、柳田國男への配慮が随所に伺われ、初々しさと生真面目さによる堅さが交錯した文面を形作っている。



 本論は、年中行事に関しての総論であるが、恩師でもある柳田國男の「 民間暦小考 」や折口信夫による先駆的な名作=「 年中行事 」など先人の足跡を踏まえたうえで、宮本らしいアプローチで語っている。

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momoneko0725

Author:momoneko0725
とうきょうの美味しい食べ物や東日本にある温泉地の紹介です。

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