マイケル・シュリーヴ × ショーン・レーン
怪物・ショーン・レーン大爆発な名盤は、コレ!
不出生のギタリスト=故ショーン・レーンは、なかなか、分かり難いギタリストである。ソロアルバムでは、ピアノが前面にフューチャーされていたり、ギターが煩く鳴っているが、背景となる音楽性がいまいちピンと来ない、そういうカテゴリーを拒むような、ギタリストである。
畳み掛けるようなフレーズの連続に、ただ、ただ速いというだけかというと、そうではない。そうではあっても、かなりヘンだ。ヘンな具合は、バケットヘッドのような、この世の喜怒哀楽を詰め込んだ分かりやすさとは違って、やっぱり、あちらの世界に通じているような妙な不具合を醸し出している。
そんな妙な雰囲気が全開、まさにフルスロットルで駆け抜けていく爽快感を漂わせた快作が本作である。ジャケットが臭わせるように、ショーン・レーンのフレーズにもアラブ風な芳しさもあるが、この人の作品は、ラインを含めてすべからく、ひとつのソロのようでもあり、また、すべて手癖のフレーズから成り立っているようなものだ。
マイケル・シュリーヴは、言わずと知れたサンタナ・バンドの名ドラマーであるが、脱退後は、好き勝手にジャズ寄りのフュージョンを量産している。どちらかといえば、個性的なギター人脈を好むようで、ヨナス・エルボーグの繋がりからであろうか、デヴィッド・トーン、バケットヘッド、ビル・フリゼールなどと絡んでいる。
このアルバムは、1995年録音のショーン・レーンとヨナス・エルボーグのトリオ曲が8曲、後半の11曲が1993年録音、ビル・フリゼールとウェイン・ホービッツのトリオ作品というもので、みごとに異なった編隊での変態サウンドが聞き分けられる。
実は、マイケル・シュリーヴのドラムの特質から言えば、後半のビル・フリゼールとの相性が断然に良い。過去のフル・アルバムでも、ビル・フリゼールの浮遊感があるギターとスペース感を与えていくシュリーヴのドラミングは、うまくマッチングしていた。
ただ、いささか、スリリングさに欠けるのは、逆に完成度が高いから。ショーン・レーンとのプレイは、彼のギターにのみ捧げられており、音楽性では荒削りであるが、情感の上から説得力は高い。熱いギター・プレイとシュリーヴのカッチリとして繊細に緩めていくドラミングの対比が鮮やかに鳴る。
一方で、フリゼールのこういった展開でのフリーキーなプレイは、フォーマットは緩いが、プレイのひとコマにひとコマに持ち込まれるテンションは高い。このトリオでは珠玉の職人技が冴え渡った結果である。
参加作品数の絶対数が少ないショーン・レーンであるが、ヨナス・エルボーグとのトリオ作品も、冗長でありながら、彼の核心を突いた、優れた出来映えのアルバムと見てよい。ドラマーの相性では、ヨナスでのジェフ・サイプとの絡みが良い。
ジェフ・サイプは、ショーン・レーンとジミー・へーリングという2大バカテク・ギタリストを支えてきたツワモノ。ギタリストを輝かせる空間演出、それには、名ドラマーの存在があり。まさに、そうした作品のひとつとして、当マイケル・シュリーヴも繰り返し聴くに耐える名盤だと思うのだが、どうだろうか?
不出生のギタリスト=故ショーン・レーンは、なかなか、分かり難いギタリストである。ソロアルバムでは、ピアノが前面にフューチャーされていたり、ギターが煩く鳴っているが、背景となる音楽性がいまいちピンと来ない、そういうカテゴリーを拒むような、ギタリストである。
畳み掛けるようなフレーズの連続に、ただ、ただ速いというだけかというと、そうではない。そうではあっても、かなりヘンだ。ヘンな具合は、バケットヘッドのような、この世の喜怒哀楽を詰め込んだ分かりやすさとは違って、やっぱり、あちらの世界に通じているような妙な不具合を醸し出している。
そんな妙な雰囲気が全開、まさにフルスロットルで駆け抜けていく爽快感を漂わせた快作が本作である。ジャケットが臭わせるように、ショーン・レーンのフレーズにもアラブ風な芳しさもあるが、この人の作品は、ラインを含めてすべからく、ひとつのソロのようでもあり、また、すべて手癖のフレーズから成り立っているようなものだ。
マイケル・シュリーヴは、言わずと知れたサンタナ・バンドの名ドラマーであるが、脱退後は、好き勝手にジャズ寄りのフュージョンを量産している。どちらかといえば、個性的なギター人脈を好むようで、ヨナス・エルボーグの繋がりからであろうか、デヴィッド・トーン、バケットヘッド、ビル・フリゼールなどと絡んでいる。
このアルバムは、1995年録音のショーン・レーンとヨナス・エルボーグのトリオ曲が8曲、後半の11曲が1993年録音、ビル・フリゼールとウェイン・ホービッツのトリオ作品というもので、みごとに異なった編隊での変態サウンドが聞き分けられる。
実は、マイケル・シュリーヴのドラムの特質から言えば、後半のビル・フリゼールとの相性が断然に良い。過去のフル・アルバムでも、ビル・フリゼールの浮遊感があるギターとスペース感を与えていくシュリーヴのドラミングは、うまくマッチングしていた。
ただ、いささか、スリリングさに欠けるのは、逆に完成度が高いから。ショーン・レーンとのプレイは、彼のギターにのみ捧げられており、音楽性では荒削りであるが、情感の上から説得力は高い。熱いギター・プレイとシュリーヴのカッチリとして繊細に緩めていくドラミングの対比が鮮やかに鳴る。
一方で、フリゼールのこういった展開でのフリーキーなプレイは、フォーマットは緩いが、プレイのひとコマにひとコマに持ち込まれるテンションは高い。このトリオでは珠玉の職人技が冴え渡った結果である。
参加作品数の絶対数が少ないショーン・レーンであるが、ヨナス・エルボーグとのトリオ作品も、冗長でありながら、彼の核心を突いた、優れた出来映えのアルバムと見てよい。ドラマーの相性では、ヨナスでのジェフ・サイプとの絡みが良い。
ジェフ・サイプは、ショーン・レーンとジミー・へーリングという2大バカテク・ギタリストを支えてきたツワモノ。ギタリストを輝かせる空間演出、それには、名ドラマーの存在があり。まさに、そうした作品のひとつとして、当マイケル・シュリーヴも繰り返し聴くに耐える名盤だと思うのだが、どうだろうか?

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