与謝蕪村
《蕪村秀句》
私が好きなのは蕪村。間違っても、芭蕉ではない。旅に出る際に、携帯するのは、いつも蕪村の句集である。
両者を、あえて野球選手にたとえるなら、芭蕉は、類稀なホームラン王であっても、凡打や三振は多い、蕪村はシングルヒットがやたら多い、そういうふうに思っている。
『月天心 貧しき町を通りけり。』
或る夜、人形町の目抜き通りから、ふと小路へと迷い込んだ時、そこはバブルが爪あとを残し、地上げによって空洞化した空き地が、点々と続く、閑散とした町並みだった。
残されたビルの谷間から、煌々と覗き見た、月の白々しいまでの明るさ、空き地から空き地へと、移動する私の視線を追いかけて、月はいよいよもって、その明るさを増すばかり。
人形町は、温かみの無いビルに囲まれた、大東京の何の変哲も無い一部に成り代わっていたが、そこには、かつての、お江戸:吉原(よしはら)を形作っていた(悪)場処であることも想い起こさせた。
情景は、江戸時代のあばら家の屋根に載せられた石置きに、当たる月の光となって映し出されていた。貧しいのは、月に照らし出された家並みではない、我々が、空き地にしてしまった、やりきれなさ、 心の中に、吹き渡る風が、それを示し出していた。
私が好きなのは蕪村。間違っても、芭蕉ではない。旅に出る際に、携帯するのは、いつも蕪村の句集である。
両者を、あえて野球選手にたとえるなら、芭蕉は、類稀なホームラン王であっても、凡打や三振は多い、蕪村はシングルヒットがやたら多い、そういうふうに思っている。
『月天心 貧しき町を通りけり。』
或る夜、人形町の目抜き通りから、ふと小路へと迷い込んだ時、そこはバブルが爪あとを残し、地上げによって空洞化した空き地が、点々と続く、閑散とした町並みだった。
残されたビルの谷間から、煌々と覗き見た、月の白々しいまでの明るさ、空き地から空き地へと、移動する私の視線を追いかけて、月はいよいよもって、その明るさを増すばかり。
人形町は、温かみの無いビルに囲まれた、大東京の何の変哲も無い一部に成り代わっていたが、そこには、かつての、お江戸:吉原(よしはら)を形作っていた(悪)場処であることも想い起こさせた。
情景は、江戸時代のあばら家の屋根に載せられた石置きに、当たる月の光となって映し出されていた。貧しいのは、月に照らし出された家並みではない、我々が、空き地にしてしまった、やりきれなさ、 心の中に、吹き渡る風が、それを示し出していた。
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