宮本常一短編集 見聞巷談 (八坂書房刊)
宮本常一短編集 見聞巷談 (八坂書房刊)
『 風景はいちどこわすと、もうもとには容易に戻ってこない。同様に人の心もまたもとには戻らない。人が人を信ぜず、未来を信じなくなったときほどみじめなことはない。物質的にゆたかになることだけが決して幸福ではない。 』
『 民衆はいつも平和をもとめ、また相手と仲良くし、相手から学ぶ心を持っている。 』
宮本常一ものでは、その著作は、ほぼ目を通しているので、巷に溢れたアンソロジーに関して手を取ることはない。しかし、八坂書房から出ている、旅の手帖4巻と、こちら見聞巷談は、なかなか読み応えがある。
昭和という名の経済成長期に、新聞、雑誌、会報誌、地方紙などにバラバラに掲載された宮本節のエッセンスを余すところなく汲み取って、上手に再編集・再構成されている。先の次代を予言したものもあり、また今となっては時代遅れの観すらあるような文言もなかには含まれるが、おおむね良好な知見が簡潔なタッチにて描かれており、まことに平易で分かり易い。
『 人はどんなところにも生きている。ただ働きつづけているように見えるけれども、自分の生活をたのしくゆたかにする工夫だけは、みなしているのである。話をきいていると、話題の一つ一つに張りがある。
歩くことによって学び知識を得ている私のような人間は、いつまでたっても歩く以外に問題を見つけ発展させて行く(より)方法がない。 』
宮本は言う、耳学問というものは、だんだん消えていっていますと。宮本の真骨頂は、よどみない話術にあり、全国津々浦々に渉った聞き書きの集大成である。思えば、インターネットの時代と呼ばれて久しいが、ドローンが世界中の僻地を映し出し、グーグルで地図は拾い読み、その情報量は多く、良質、悪質問わず氾濫していても、ネット上で読まれ、書かれたもののなかに果たして、心に留め置くような言葉があるのか疑わしい。そういう時代にこそ聞き書きを通して語られる、日本人のかつての生活史、世相または精神史があることの次の世代へと継がれる重要性が見えてくる。
『 新聞も雑誌もテレビもラジオもすべて事件を追うている。事件だけが話題になる。そしてそこにあらわれたものが世相だと思っているが、実は新聞記事やテレビのニュースにならないところに本当の生活があり、文化があるのではないだろうか。その平凡だが英知にみちた生活のたて方がもっと堀りおこされてよいように思う。当節はすべてに演出が多く、芝居がかって居すぎる。 』

『 民衆はいつも平和をもとめ、また相手と仲良くし、相手から学ぶ心を持っている。 』
宮本常一ものでは、その著作は、ほぼ目を通しているので、巷に溢れたアンソロジーに関して手を取ることはない。しかし、八坂書房から出ている、旅の手帖4巻と、こちら見聞巷談は、なかなか読み応えがある。
昭和という名の経済成長期に、新聞、雑誌、会報誌、地方紙などにバラバラに掲載された宮本節のエッセンスを余すところなく汲み取って、上手に再編集・再構成されている。先の次代を予言したものもあり、また今となっては時代遅れの観すらあるような文言もなかには含まれるが、おおむね良好な知見が簡潔なタッチにて描かれており、まことに平易で分かり易い。
『 人はどんなところにも生きている。ただ働きつづけているように見えるけれども、自分の生活をたのしくゆたかにする工夫だけは、みなしているのである。話をきいていると、話題の一つ一つに張りがある。
歩くことによって学び知識を得ている私のような人間は、いつまでたっても歩く以外に問題を見つけ発展させて行く(より)方法がない。 』
宮本は言う、耳学問というものは、だんだん消えていっていますと。宮本の真骨頂は、よどみない話術にあり、全国津々浦々に渉った聞き書きの集大成である。思えば、インターネットの時代と呼ばれて久しいが、ドローンが世界中の僻地を映し出し、グーグルで地図は拾い読み、その情報量は多く、良質、悪質問わず氾濫していても、ネット上で読まれ、書かれたもののなかに果たして、心に留め置くような言葉があるのか疑わしい。そういう時代にこそ聞き書きを通して語られる、日本人のかつての生活史、世相または精神史があることの次の世代へと継がれる重要性が見えてくる。
『 新聞も雑誌もテレビもラジオもすべて事件を追うている。事件だけが話題になる。そしてそこにあらわれたものが世相だと思っているが、実は新聞記事やテレビのニュースにならないところに本当の生活があり、文化があるのではないだろうか。その平凡だが英知にみちた生活のたて方がもっと堀りおこされてよいように思う。当節はすべてに演出が多く、芝居がかって居すぎる。 』
スポンサーサイト